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書きすぎると長いうえ鬱になるので簡単に

3月19日 夕方 某農業高校不合格。高校野球好きなら知っている場所で母さんの母校
同日夕方 父親も出たことがある予備校のパンフレットをもらいに行く
同日夜 当時の担任と学年主任が来る。その時のやりとりが忘れられない

私立を受けるという手もあったんですが担任の一言が忘れられず、浪人ルートを選択。ここが多分人生で最大の分かれ道だった気がする。ゲームで言うならグッドかバッド行きの選択。今思えば私立行きは負けの選択肢だった気がするし、今こうやって書くこともなかっただろう…

3月20日 予備校の入学手続き。担任に報告したときのやり取りが一生忘れられない

先生にも見捨てられ、周りに変な眼で見られ、しばらくは外にすら出ませんでした。うん、毎日泣いていたな。ついでに言うと一部の人を除いて本当に無口になっていたな。というか心を閉ざしていたな、本当ですよw

4月
電車で同期と会うのがとても怖く、誰もいない電車で通学開始。それでもたまにあったいましたが怖くて話したくないし、変な眼で見られていたので余計に…。どうしても早い電車に乗らなきゃいけないときは正直逃げ出したい気持ちはありましたがなんとか逃げずに済んだ

予備校のほうは親父を教えていた先生が何人かいたせいか少し楽しいと思うようになり、勉強のほうは無に近い状態から徐々にわかるようになりました。正直、先生との相性が良かっただけかもしれませんがとにかく勉強していた記憶があります

予備校時代の同期は不良というか問題児が多く、すさまじいものがありましたがこれは別の機会に…。中学以前の友人との交流はごく一部でしたが続いていました。

5月、6月、7月、8月、9月、10月、11月と過ぎていき、成績は英語、国語、理科が飛躍的に上昇し、社会が安定するようになりましたが数学は克服できず12月へ。進路選択となり、親父の母校か当時としては未知の高校(正直、入るまで山田久志さんの母校とした知らなかった程度)が選択肢として出せるようになり、私的には驚くべき伸びでした。ちなみに割と直前に出せるようになったので不安でした。

2月に中学校に行く羽目になり、その時のS先生の対応の悪さが忘れられない(文化祭に顔を出しましたが先生方に完全無視を食らった)。かえってやる気が出てきて、迎えた本番。面接はインパクトを残せましたが肝心のテストのほうは正直落ちたと思った。んで死ぬほど緊張した一週間後、番号があり、無事合格。心配をかけたおばあちゃんに報告し、中学校へ。校長先生には大変お世話になっており、報告したくて行きました(卒業後すぐに手紙が来ましたが少なからず理由は僕と僕の親友)。校長先生は事前に知っていたらしく、心配してくれたんだなと感動しました

これが僕の受験に関するエピソード。ところどころ省きましたがこれで勘弁してください

以上
2010.02.11 / Top↑
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